ある時、愛犬の変化に気付いた。お尻にできものができていた。
パッと見はイボ時の様だった。
それは日に日に大きくなっていった。
母が機を見て動物病院へ連れて行き、その日の晩に伝えられた。
「肛門にガンができているとの診断だった。お医者さんは人間と違い、切除は不可能だって」
私は当時22歳。
中学生一年生からずっと一緒だった私にはとても受け入れ難い言葉だった。
「どれぐらい持つのかな?」
「後一年は難しいだって。でも、この子は賢いから表情に出すと勘付かれちゃうから気をつけてだって。」
無茶を言う物だ。
友達のいまい私にとって、親友であり弟でもある唯一無二の愛犬の余命が一年未満なんてとても信じられないし、信じたくない。
それからずっと、愛犬の事が頭から離れない。
仕事をしていても、趣味のビリヤードをしていても全く身に入らない。
夕方に仕事が無い時は、進んで散歩に連れて行った。
その足取りはどんどん遅くなってゆく。
大好きなおやつも食べてくれなくなってきた。
見かねて動物病院へ連れて行く。
獣医さんは、人間で言うニンニク注射みたいな栄養剤を打ってくれた。
「これでしばらくは元気が戻りますよ。」
確かに、動物病院から帰った直後は元気だった。
犬が大好きなおやつも食べてくれた。
食べた後に抱き寄せた。
「いいか、勝手に遠くへ行くんじゃ無いぞ。」
自分の勝手なエゴなのはわかっている。
避けようの無い未来はわかっている。
だけど、否定しないと自分が悲しい気持ちに潰されてしまうのだ。
その数週間後、私は行きつけのビリヤード場の大会に参加していた。
この日の事はよく覚えている。小雨が降る木曜日の事だった。
大会には毎回参加している私だが、この日は運が重なり決勝まで進んだ。
そして優勝した。
終わったのは日付が変わった頃だった。
小雨だった雨が本降りとなった中を気分良く車を走らせていた。
そして帰宅時、愛犬の様子が恐ろしい方向におかしかった。
衰弱していた愛犬が牙を剥き、目が血走り、綱一杯まで身を投げ出し、私に襲い掛からんばかりの勢いで私に向かってきた。
「どうしちゃんたんだよーーーー!」
おそらく午前一時頃であろうが、私は叫んでしまった。
私が愛犬の元へ向かおうと走り出した時、愛犬は崩れる様に倒れた。
ただならぬ声で外に飛び出してきた両親、祖母、姉と弟。
私の元で今まさに力尽きようとしている愛犬を見て全員悟った。
来ないでほしい来るべき時が来てしまったのだと。
愛犬は皆に看取られ、私に抱きしめられ天寿を全うした。
普段勝てない試合で日付が変わるまで帰らず、愛犬が力尽きる時間まで出掛けていたのは、今思えば全てお別れを伝えられる為に誰かが私の時間を稼いでくれたのかもしれない。
おそらく、私と愛犬を非常に可愛がってくれたおじいちゃんが天国から捜査していたのかもしれない。
愛犬の最後の恐ろしい形相は、何がなんでも私の元へ行くと最後の力を振り絞っていたのだろう。
人間を含め、どんな動物でも治せない病気は本当に数多い。
そして、その時に気付く大切な存在。
愛犬はキャンキャン言いながらも私と遊び、ブラッシングしてもらい、おやつをもらって一緒に散歩へ行っていた。
彼の最後の形相は、それから20年以上経っても忘れられない。
何が何でも最後は私の元へ来ようとしてくれた事を。